飯寿司漬け込み
朝9時水につけておいた鮭を取り出し、水を絞る作業に。そして樽に改めて水を入れ、水の漏れをチエックしておく。
連れ合いは昨日から大きな鍋に米を準備して、今朝から炊き、人参、生姜、柚子の切込みを。
更に、鷹の爪と塩、麹、みりん、酒、酢を用意して、漬け込む場所作りをする。
午後1時しっかりと着込んで、ストーブを付けておいた車庫で漬け込み開始。
まずは樽にしっかりと酢を付けておく。
樽の下には、酒とみりんを混ぜた米を敷き、その上にパラッと麹を振り込む。
絞った鮭を一枚づつ敷き、パラッと塩を振りかける。その上から酢をふりかける。
その上に切った柚子、人参、生姜、鷹の爪をぱらぱらと。
その上に米を薄く敷き、その繰り返しを続ける。
3時ころには終了。
あとは蓋をして、調味液がしっかり回った頃から、少しづつ重しをしていくことになる。途中の作業はまだまだあるが、12月25日に封切りの予定に。
この飯寿司作りが我が家の一大イベントで、俺達の代になってからもう20年にもなる。
10年間はホッケの飯寿司も漬けてきたのだが、今年からは鮭だけにすることに。
恒例の飯寿司作り
11月も半ばになるとそろそろ恒例の飯寿司作りの準備に取り掛かる。
漬け込む樽を用意し洗っておく。切った鮭を水に晒す入れ物を洗う。
水から取り出した鮭の水を絞る容器を洗っておく。
漬け込んだ飯寿司を絞る石を洗っておく。車庫を掃除しておく。
9月から10月にかけて、魚屋から鮭を10本購入し、それを三枚おろしにして冷凍をしておいた。それを漬け込む前々日に冷凍庫から取り出し、切る日にさっと凍っている状態にする。切る時間に合わせて、冷凍庫から出すのだから難しい。
今年はその頃が気温が下がり、寒い日が続くということなので、前日の11時ころに取り出した。
16日のいよいよ切り込む日は、9時から作業に取り掛かる。
居間に道具や魚を運び、切った鮭を次々に水出し用の2斗樽に入れる。10本の鮭は一時間ほどで切り終わる。 意外と早かった。
それを車庫に運び、水道からの水にさらしておく。 作業は寒い。あとは、時々水を確認しに来ること。 明日は漬け込みだ。
久しぶりのブログ
実に久しぶりにブログを書いている。
昨日偶然に見つけて読んでいたら、時々メモ代わりにでもと。
あれから3年半も過ぎたことになる。
その間には、母の死、岩内に一緒に行った叔母の死、その連れ合いの叔父が介護付き老人ホームにと。年が明ける2月には、母の3回忌を予定している。
8月には、長女が突然男性を連れてきて、妊娠していることを告げられた。
スキーの準指を取り,その縁で知り合ったそうで。3月には出産の予定。
長男はまたしても転職して、忙しそうでなかなか電話や帰省がかなわない。
だから孫の様子もとんと伝わってこない。どうしていることやら。
下の娘は、文句も言わずホテル勤務。シフトがあり交代制勤務が大変そうだが、なかなか連絡をよこさない。
可愛かった愛犬も壮絶な死を遂げて1年半にもなる。その犬種を見るとたまらなくなる。
とまあ。
何と、雪景色に
朝5時に起きると、何と一面の雪景色。
結構な雪の量だ。3センチほども積もっているだろうか。
冬タイヤを夏タイヤに履き替えて来ているのに、稲穂峠を通るのに大丈夫だろうかと思うが、10時頃に通ることになるので、大丈夫だろうと・・・。
こんな時間に起きると何もすることがない。
朝の温泉に浸かりに行く。
昨日は入り損ねた露天風呂が気持ちいい。
朝の食事は、
写真で見ると寂しそうだが、布海苔の味噌汁、ヤリイカの刺身、イカの塩辛、佃煮、ベーコンに有精卵の卵の目玉焼き、野菜サラダ、それに、島牧産の根ぼっけの焼き魚。黒松内つくし園で作っている納豆。
地元素材にもこだわっている。米は島牧産だとか。
何とこのほっけがとても脂がのっていて実に美味しい。
ほっけは今はなかなか大きいのを手に入れるのが難しく、本当に高級魚化している。
それを冷凍しているそうだ。それはそうだ。一度に毎日手に入れることなど出来ないのだから。
9時過ぎに出発。この頃には路面の雪はほとんど溶けている。
稲穂峠も大丈夫だった。
叔父、叔母を連れて
叔父も89歳になるが、先日来た時に、積丹や生まれ育った泊を見ておきたいというので、
急遽、10日、11日と岩内に一泊しての積丹半島を巡ることにした。
叔母も先日転んだと言って杖を持ち、叔父よりも足下が危なっかしいような状態だった。
気温が低く、風もあり、肌寒い日であったが、
連れ合いを合わせて4人で10時半頃に出発したのだが、だいたいのところはカット、前に見たからいいというし、積丹岬に向かう。
ここから遊歩道が付いていて、島武意に向かうことができるらしい。
俺も子どもたちが小さい頃にこの場所に来たことがあったきりなのだが、
もう少しゆっくりと見たいところでもある。
20年ほど前に積丹半島一周出来る道が出来た頃には、
ここに大がかりなお土産店が出来たのだが、今はもう廃屋としてその骨格が残っているのみである。
観光シーズンでも、もうこの賽の河原は通過地点になってしまっているのだろうか。
神恵内は叔父にとって懐かしいところであるようだ。
観光ホテルに勤めていた頃、風景の美しい神恵内に注目して、用地買収やホテル計画のプランを作って何度もこの地に赴き、親会社を説得しに歩いたらしい。
結局、計画が実現することはなかったのだが、今でも忘れられないところでもあるのだろう。
泊では墓参りをしたり、知り合いのところに寄ったりとして、4時頃には岩内の高島旅館に着く。
この旅館は、海産物をド~ンと提供する旅館として知られているのだが、叔父叔母も一度来てみたかったところらしい。連れ合いも来る機会がないまま初めてなようで。
俺は、島牧で営業していた頃にも行ったし、岩内に出来てからも職場で2、3回使っている。
夕食時には、上の娘も合流して5人で食事となる。
当時と変わらない、素材そのものを生かした料理だ。
・刺身 (北寄、ボタンエビ ホタテ)
・炭火焼き (アワビ ホタテ)
・活け作り (ヒラメの刺身)
・酢の物 (なまこ)
・鍋 (ソイ ホタテ ハマグリ あさり かに足 野菜など)
・焼き魚 (もんけ)
アワビはそのほかに生で食べるようにも付いてきていたが、歯が悪い、もうたくさんとかで俺に集中。ずいぶん俺は食べた。そのほかに、アワビのうろ(肝)まで付いてきて。
海のものを食べたい人には、最高のところだと思う。
しかも、こんなに食べて安いのだ。良心的なところでもある。
しかし、俺は少し手を加えた海産物の料理のほうが好きだ。
小さい頃から目の前の海で夏には毎日のように潜って取っていたから、実は何かお金を払ってまで食べたいとは思わないのだ。
食事後娘を見送る。
そば打ち道場へのお礼かたがた
道場の先生方も、四国巡礼から帰ってきているようで、
久しぶりに札幌に。
小樽の新倉屋で花園団子購入。
今日は打たないので11時頃に着くが、3段の合格を喜んでくれた。
応援に来てくれた方もいたし、よく教えてくれる4段の方々もいた。
そして、これからのそば打ちの仕方についても相談に乗って貰う。
かき揚げの天ぷらが美味しかった。
ここの熱いつゆの味が好きなんだが、なかなかこの味が出ない。
今度返しの割合と、そばつゆの割合も教えてもらおうと思っている。
今度から練習する粗挽き粉を買い、妹のところにジャガイモを届ける。
そして、明日夜研修から帰ってくる下の娘のところに寄り、
冷蔵庫や冷凍庫に食品を置いてくる。
ようやく気持ちが前向きに
新年度に入ったというのに、体調が思わしくない。
あのそばの昇段試験以来、次の日から芳しくない日が続いている。
28日の月曜日は、体がだるくて節々が痛い、腰も痛くて何もする気が起きず一日が過ぎる。
29日の火曜日も、またもや何となくからだがだるい。何かしようと思うのだがだめ。温泉に行ってすっきりするかと思ったが、結局だめ。
30日の水曜日は、何とかしようと、そば打ち場を片付け、丁寧に掃除機もかける。しかし、それ以上あまり進まない。
31日の木曜日は、朝寝ているときから体がだるい、とにかく動きたくはないのだが、奮い立たせて新聞配達に。しかし、配達中猛烈な寒気がする。そんなに気温が低い日でもないのだが、終わって、愛犬の散歩も行かずに、布団にやっとの思いで入る。体温を測ると何と39度もある。
結局その日は布団の中に入り、ひたすら頭を冷やしていた。食事も枕元に運んでもらい、汗をかいて体温を下げようとする。夕方になり37度ほどに。
4月1日金曜日には、朝36度台になり、だいぶ体が楽になる。しかし、午前中は布団に入っているが。午後から起き出す。しかし、とにかく腰の痛い一日だった。コルセットをしてみたがあまり効果がない。2時過ぎに、蘭越から米とそば粉が届く。しかし、申し訳なかったが玄関まで運んでもらう。その後温泉に行く。少しすっきりとさせようと。体重計に乗ってみると、何と78キロ。体力の低下と筋肉の低下を感じる。こんなやせ方じゃだめだ。
4月2日土曜日は、無理に体を動かそうと、冬の間の植木の雪囲いを始末する。気温が10度ほどあるが、まだ風が冷たい。しかし、全部は終わらず残してしまう。午後からそばの昇段試験を受ける会員の指導をと出掛けるが、まだ何となくだるい。いったいどうしてしまったんだと思う。
3日になり、ようやくすっきりとして、何かをしようという気持ちがわいてくる。雨がぱらついていたので、外での仕事は断念して、ニセコに水をくみに出掛ける。
倶知安もニセコの街道沿いも、やはり今年のような雪解けの早い年はない。
ビュープラから羊蹄山を。
この道の駅、いつものような混みようじゃなかった。
野菜がとれているわけではないので無理ないか。
ニンジンと沢わさびを買ってきた。そして、隣の売店からは、青木農産の田舎粉2キロを。そして、高野珈琲店でコーヒー豆を買ってくる。
夕方上の娘が。そして、大阪で研修中の娘からも電話が入る。
そして、孫がようやく歩き始めた姿がパソコンにアップされていた。
明日からは、大丈夫だ。そば打ちもしてみようという気にもなってくる。
とにかく冬の間の下の車庫や食品庫などの後片付けも待っている。早め早めに仕事をしようと思う。
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俺は聞けなかったのだが、NHKの日曜討論で、全く久しぶりに生活の党と山本太郎となかまたちから山本太郎が出演したそうだ。
さすがだよな、こんな決めぜりふを残してくれたらしい。
「自民党は毎日がエイプリルフール」だと。すばらしい言葉に感嘆する。
田中龍作ジャーナルも素晴らしい。
いよいよその日が来る
朝5時。すがすがしい夜明け。
新聞配達を終えて、愛犬の散歩。
朝から比較的暖かい日だ。汗をかき、シャワーを浴びて6時までに準備を。
神棚と仏様にお水を上げ、お明かりをつけて拝む。
朝食を持参して連れ合いと車に乗り込む。6時15分。
今日は長い一日だが、俺の関心事は、気温があまり上がらないでほしいと言うことと、そば打ちの組が遅くならないでほしいと言うこと。
穏やかで道も空いている。ついついスピードが出てしまうが、そこは戒めながら20キロオーバーくらいで。
岩内、寿都、黒松内と順調に過ぎ、受け付け開始の8時前には長万部に到着してしまう。
はやい。
会場では既に受け付けも用意され、係の人たちが忙しそうに動いている。
受付で要項をもらうと、何と4組目。午後からの試験開始となる。ガッカリ。
今日の受験者は50名。
三段の試験は、ここ北海道では年間に2回しかないので、どうしても人数が多くなるのだ。
俺たちの会から二人が応援に来てくれたし、札幌の道場からも来てくれた。結構時間がかかったことだろうに。それに、最初そば打ちを教えてもらったある町の愛好会の方々も来ていて、そんな方たちに見守られながら受験できることにうれしさを感じる。
1組目のそば打ちが終わり,2組目が始まった頃に、いすに座って30分ほども寝る。
よかった寝ることが出来た。頭も少しすっきりしてきた。
11時半頃にお昼のそばを食べる。いつもここのそばは美味しい。
長万部のお母さん方が用意してくれるのだが、おにぎりと漬け物まで付いている。
昼休みの時間が終了した13時10分から、4組目の試験が開始される。
準備をしながら気持ちを落ち着かせるのだが、午後の時間になるにつれ、会場内の気温も朝よりも高めになってくるのを感じる。
冷たく凍らせたタオルと、汗ふきタオルも机の上に用意しておく。そして、今まで、時間内に終えることが出来ないものだから、その時間内に終えることだけを考えてそばを打とうと決める。
さあ、いよいよ開始。
水回しも、やはりいつもの練習していたように、50パーセントを超えて水が入る。5回に分けて水を入れたが、まあまあの状態でこねに入ることが出来た。
11分ほどで鉢を拭くことが出来たし、つぶしには12分台で入ることが出来た。
丸くつぶして、50センチほどにする段伸しも、しっかりと体重をかけてきれいな円になっている。そして丸出しに入る。
四つだしも順調。きれいな形だ。
20分ジャストから本のしに入る。
本のしもしっかりと麺棒で押さえ込み整え、みるみる麺体が薄くなっていく。
すごい順調だ。
たたみ、打ち粉をふり終え、駒板をおいてまさに切ろうとした時間は、27分台。すごい順調だ。しかし、だんだん汗を拭く回数が増えてくる。
時間に余裕があるので,落ち着いてと思うのだが、切りに入るが、汗が落ちそうになると切りをいったんやめて汗を拭く。汗をふいている時間がかかるんじゃないかという余計な心配をしながら,切りの間中そんなことを考えている。
そんなことに気を取られて、麺箱にはいつものようにきれいに置くことが出来なかった。最後の切りが太くなり、箱に均等に入らなかったのが悔やまれる。
あと5分の放送があった頃、後始末に入ることが出来た。
こんなに早く入ることなんて初めて。
早く早くと動きが速くなってしまったが、8秒前に終了の手を挙げる。
終わった。やった。
長かった、11月からの練習期間。
その間には、手が荒れてしまい,そこからひび割れが起こり、麺に血が何度も付いてしまうことがあったし、その手を治すために色々な薬を試し、結局は、馬油をこまめに塗りつけきれいな肌になったのだが、そんなことのあれこれが思い出されてくる。
下の寒いそば打ち部屋での練習に,手がかじかんでしまうこともあったし。まあまあ、出来るだけのことはしてきた。
合格の感触を得ながら、4時半からの閉会式を待つ。
家についたのは7時を回っていた。
お疲れ。
保育所問題
「保育園落ちた、日本死ね!」と発信した母親の過激な言葉がネットで瞬く間に広がった
らしい。
2月29日、娘のところに荷物を運ぶ途中で、ラジオから国会中継が流れれていて、民主党の山尾志桜里議員が安部を追求していた。
その時は聞き漏らしたのだが、匿名である以上、実際に本当に起こっているのか確認のしようがないなどと逃げたらしい。
これは、俺の孫のことでもあるのだが、息子の嫁が出産して育休中であり、4月復帰を目指していたのだが、かなり激戦地域で入園待ちがたくさんいて困っていた。
会社では何とか4月に復帰してくれなければと催促し、もしどうしてもできないのなら、厳選区ではないところに引っ越ししてでもと言われていたらしい。
俺も心配していたのだが、あまり介入すると嫌がられるので,当人たちを見守ることに徹していたのだが、23月初めに、「奇跡が起きた」との連絡。何事かと思っていたら、何とすぐ近くの保育園に4月1日から2年間通園出来ることになったという。
どれだけ二人で喜んだことだろう。特に嫁はそうだったようだ。
そんなことがあったばかりだから、この問題は身近に感じられた。
そんな母親たちが立ち上がったことを田中龍作が報じている。
田中龍作ジャーナル | ♯保育園落ちたの私だ 国会前で母親たちが抗議
よしっ 何とかなるかな
蕎麦打ちの3段に向け練習をしているのだが、先日2日の日には、札幌の道場の師匠から,子どもさんが熱が下がらないので心配でしばらく埼玉に行ってくると電話。教えることは教え、このままの調子でいったら合格するからとの話をしてくれたのではあるが、今日は師匠がいなくてもとその道場に出向くと、いろいろと教えてくれていた人たちまでが、四国の八十八カ所巡りに8日から4月の初めまで出掛けるという。
おれはこの3週間が勝負の時だと思っているのに、何だ。代わりをしてくれる人がいるからと言われたが、ちょっと拍子抜け。
さて今日は4回打ってきた。仕方なく薄いゴム手をはいて打つのは、水回しの感覚が違うものだ。それでも、教えてくれた4段の人に完璧にやろうとしなくてもと言われる。それよりも、まだ時間が40分以内でできるかどうかが不安だから、そのことに心を配れと言うことらしい。
俺の課題は、水回しから丸たまをつくるまでと、本のしをする時間がかかりすぎることにあるのだが、2回目、3回目、4回目で、何とかクリアできそうだ。
四つだしの形もいいし、たたみの厚さや均等さも、そして切りも均等になり、容器に真っ直ぐに入っていること、自分でも満足のいく蕎麦打ちができた。
時間配分に気をつけながら、あと3週間、一日おきに頑張ることだな。
俺は11月頃から、町の施設を俺の練習のために毎週借りて練習している。そこには自分で打ちたい人やおfれの打つのを見たい人が来ては練習・見学をしていくのだが、これはあくまでも俺の練習のためで、他の人に教えることを主としたものではない。
設備が整い、快適な練習環境で毎週たくさんの蕎麦打ち道具を車に積み込んで通っている。
今度2段を受験する会員が、ここに来たくて何度も話すのだが、俺は頑としてその会員が来ることを拒んでいた。とにかく来るとうるさい。人と話をしていても,話題を自分で横から入ってきて取ってしまうなど、どちらかというと不快感を与えてしまうため,俺の練習にならないことを理由にして断っていたのだ。
あまり拒否をしてもと、俺の3段の練習が何とか目処がついたからと、3週間ほど前からその会員が来て練習することを許可したのだ。喜んできているのだが、やはり、じっと見ていることができないようで、本当に近くに来ては話しかける。それが時々脱線し始めたり、俺はあまり蕎麦打ち以外のことは話をしないで無視をしているのだが、その会員は、3回目ともなると、場をわきまえてくるようになった。
彼女はあと1週間で試験だ。7日のそば打ち会と、8日の練習会の2回を試験前に見ることになる。