haruの窓

北海道発

こんな新聞記事が

先日の新聞に、ある町の町政懇談会に対しての批判記事が書かれていた。


それによると、町政懇談会というので出向いてみると、
年配の方々ばかりだったという。
参加した人たちは、みんな区会の役員たちばかりだという。


町政を知りたいとか、関心のある方々なら、誰でも参加できるはずである。
子どもを持つお母さん方なら、教育や子育てについて知ったり、要望もあるだろうという。


しかし、どこの町村でも聞かれるようなことが、一切出てこなかったという。
はたして、そんな懇談会は妥当なのかどうかと言う意見だった。


当然と言えば当然であろう。
そのようなやり方が良いはずがない。
広く門戸を開いていないところには、閉塞感しか生まれないだろう。
恐らく新聞記者は、その町の停滞した空気を感じたのだろう。


俺も、いくつかの町村を回ってきているので、
特にその記事には共感を覚えた。

ある町では、小さな単位の地区ごとに町政懇談会が開かれ、細かに意見を聞いていた。
バランスシートを詳しく説明して、町の財政状況を的確に説明していたところもあった。

それもこれも、みんなが、声を掛け合いながら小さな会合に集まってきて、
町長と話をしたり、その後のは酒を酌み交わして話が続いていたものだ。

その懇親は、その町内会が用意したものであろうが、
俺も参加して、町長が退院したばかりの体をいたわる話をした覚えがある。


また、最後につとめた町では、
やはり、町町が小さな地区にまでも出かけて、
1週間以上かけて少人数ではあるが町政を説明し要望を聞いていた。
そして、「今晩は町長室です」と言う誰でもが町長に話が出来る場が持たれていたし、
意見箱のようなものを用意して、風通しの良い町政を心がけていたものだ。


高いところから語るのではなく、同じ目線のところで話の出来る人でなければいけない。
それが、ひいては町づくりに関心を持たせることになるのだ。
町づくりは人づくりなのだ。