haruの窓

北海道発

呆れ果てる指導者で良いのか

この1週間は日本を雪が覆ったと同時に、安部の国会での物言いに呆れ果てた1週間でもあった。

私たちはこのような驕り高ぶって、丁寧に説明と良いながらも、満足に丁寧に説明するどころか、相手をやっつけてやろうとでもいうような態度でのしゃべりと、笑いを取るような答弁に終始している安部に、日本人として恥ずかしさで一杯だ。

 

国会で絶対多数を握っているだけに、傲慢なのだ。公明党だって暴走を止められないではないか。太田だって、国会軽視の首相の発言を内閣の一員として支持するというような発言すらしているのだ。

 

自分の進めたいような人事をして、一気に自分好みに国の仕組みを変えようとする安部。危険きわまりない。

NHKの会長人事しかり。補充した経営委員の人選しかり。何で揃いも揃って、新しい歴史教科車を作る会のような奴らばかり人選するのだ。極端な人間を選んでいるということだ。

籾井会長の従軍慰安婦についての発言。戦争中はどこの国でもあった発言。百田委員の、都知事選挙田母神を応援し、他の候補者はバカばかり発言、南京虐殺はあり得ない発言、また、埼玉大の名誉教授だという長谷川という女が、朝日新聞社で抗議の自殺をして野村秋介を褒め讃える旧仮名遣いの表記で寄せた文章など、個人的心情・思想・哲学という言葉で、自分を正当化し、何を話しても良いんだというような発言を繰り返す輩を揃いも揃って選ぶとは、政治的中立も何もあったものではないだろう。

公共的な思考や判断を問われているのに、わざわざ個人的にはと断って話すことこそ問題ではないか。

資質そのものが問われているのに、本当に傲慢な奴らだ。

 

それを安部は、私はそのような発言を聞いていないので返答のしようもないと国会で答弁していたが、事実関係を調査すると本気で話すことこそが、誠意を持って話すということではないか。

それすら捨ててしまったのだろう。

 

安部について書くときりがなく、憂鬱な気分になってしまうので書きたくないが、なぜこんな危険な、戦争が出来る国を作ろうとする人間を我々は選んでしまったのだろう。