haruの窓

北海道発

つくられる食卓

大晦日。
朝から娘と頼まれた買い物。
10時頃には鮮魚店はかなり混雑している。
我が家の大晦日の食卓は、ここ20年ほどは手巻き寿司。そのネタをこの店で買う。

   

こんなでかい鱈やカジカが売られている。すごいな。


近くのスーパーも混雑している。
しかし、スーパーなどを見ると、どうも腹立たしく思ってしまう。


それは、大晦日や正月の食卓を見越して売っているものが多い。当然と言えば当然なのだが、しかし、そのようにして、我々の家庭の食卓が規格化、同一化されていきはしないかという恐れだ。

今日は、馬肉の盛り合わせが大量に売られていた。今まではあまり売られてはいなかったのに、今年は特に目に付いた。

馬肉は高い。俺が昨年の10月に熊本に3泊して飲み歩いた時には、かなり高くて数きれ食べるだけだったが、このスーパーは、オーストリア産の各種部位の馬肉が僅か998円だ。これなら安いと買っていき食卓に上っている家庭も多いだろう。


そのようにして、食卓がどんどん規格化されていくのだろう。恵方巻しかり、最近の豪華おせちしかり、そして、特に北海道と言えば大晦日は握り寿司の家庭もかなり多くなっているはずだ。

そんなことを考えながら店を後にする。



我が家は、今年は娘たちと、母を迎えての大晦日。息子は嫁の実家で新年を迎えるそうだ。

     


おまけに、またしても長女は熱を出して体調が優れないようだ。ほとほと、根性のないやつ。気合いで直せよと言いたくもなる。昨年だって、暮れから5日間ほどは新型インフルエンザで寝込んでいたほどだ。

俺は飲んだが、つれ合いは相手もなく、おまけに母を8時過ぎにはホームに送っていくので飲めない。明日だな。


10時過ぎには、もう起きて入れなくなる。ここ数年は除夜の鐘を聞きながら新しい年を迎えることもなくなった。