haruの窓

北海道発

大阪市民の判断

大阪は橋下を選択した。

俺は、彼の言動の危険さを恐れている。むき出しの言動に危うさを感じているのだ。


その一つの例が、教育に対しての知事の関与だ。
大阪の児童生徒の昨年度の「全国学力…学習状況調査」の成績が全国の下から3位(?)という成績に、何が何でも成績を上位にするんだという姿勢。

はたまた、教師が校長や市長・知事に反対を表明する体質を変えようと、会社では一社員が社長の言う事を聞かないなんて考えられない、即刻首を切られても文句も言えないことを、教員は平然と反対をするとして、教育改革を言い出し、そして、大阪府教育基本条例を提案してきたのには驚かされる。


自分(知事や権力者)にとり、都合の良い教育をしようと画策し、知事が教育目標を設定でき、最低評価の教員を処分の対象にすることを可能にする条例案は、教育基本法により守られている「教育への不当な支配」を、真っ向から否定しようとするものだ。

これは、戦前の教育への回帰以外の何者でもないだろう。
正しいのは知事や権力者であり、それに異議を唱える者を排除することは、物言わぬ教師をつくり出し、子どもたちの伸びやかな成長を奪おうとするものである。


大阪都構想を掲げて、無駄を徹底的に排除しようという姿勢を示しているのだが、市民や府民は橋下と維新の会を選択した。

選挙中の市民の関心や言動をみていると、まるで小泉が郵政改革を掲げて、イエスかノーか二者択一を迫った時の歓迎ぶりに非常に似通って見える。

閉塞感に包まれている中、一定程度改革のスピードを上げて取り込む突破力に魅力と何かやってくれそうだという期待を持って彼を選択したのだと言う事は理解できるが、それにしても、あれかこれかという選択を迫る姿勢と独裁者結構という姿勢には、とうていなじめない危うさと違和感を感じてしまう。