haruの窓

北海道発

あれから1年

重い1年が終了した。

報道を通じてしか現地のことは知らないのだが、
それぞれの被害のあった地で被災した方々の奮い立つ姿が報じられてきている。
その力強さに胸打たれるものもあるのではあるが、あくまでも報道であることを強く感じてしまう。
脱力感から立ち上がれない人もいるだろうし、
気の遠くなるほどの復興までの道のりと放射能の除洗におびえながら、
仮設住宅住まいの方々が24万もいるという。


しかし、それにも増して、公務員叩きに合いながらも
懸命に復興に尽くしている方々がいることだ。
今の日本では救われる。月並みだが、健康を気遣うのみだ。


こんなに大きな事故を起こしながらも、海外に原発を売ろうとする政府・産業界。
これから苦しむであろう事を隠蔽しようとする企みが蔓延してきているのを感じざるを得ない。
我々の代だけでなしに、子や孫の時代にまで負の遺産を残してしまった我々の営み、
それによって引き起こされた事故を、簡単に忘れ去ることが出来るのも人間なのだ。


除洗といっても、気休めに過ぎないだろう。
家屋や広大な土地を洗い流したところで、その流された水の行き着く先は地下であり海であるはずだ。
また、山野をすべて高圧水流で洗い流すことなど不可能に近いだろう。

そんなことを知りながら、根本的な電力体制を変換することなく
単にストレステストと称して当分の間原発を止めたとしても、
電力減を理由にいずれ復活させようとの意図が透けて見える。


フクシマ原発を事故処理に当たるのだって、たくさんの作業員の力が必要だろう。
未だ放射線量下げやらぬ現場で、原発事故後の方針定まることなく
途方もない終わりなき事故処理に当たること自体が気の遠くなるような歳月を必要とするのに、
まだ目が覚めないのか。


それにしても被災地での芸能人の活動を取り上げている番組が多い。
誤魔化されないぞ。