haruの窓

北海道発

とうとう3月

早いもので今年ももう3月  今日は高校の卒業式だ。

テレビのニュース画面を観て、この子どもたちはどんな思いで3年間を過ごしたのだろう、よくここまでこぎつけたものだという思いが沸き上がってくる。

 

2年前に卒業した我が末の娘も、感じなくてもよいプレッシャーと戦っていたようだ。

試験となるとからっきしダメで、腹痛になったり、熱が出たりと。

そして、3年になると、逆流性食道炎とかで、病院にまでかかったりもしたのだが。

今ではすっかり3番目ぶりを発揮して、実にドライだ。春休みになったのに、まだ帰っても来ない。

 

娘のことはともかく、昨年中学を卒業していった知っている子どもたち3人は、それぞれ苦難の高校生活をおくっているようだ。1人は高校を替え、もう1人は未だに高校に向かうことも出来ないようだ。

その3人が卒業式に向かう姿を見ているだけに、卒業式は特別の意味を持つことに今更ながら気づかされるのだ。

 

さて、最近、動画サイトで、何かと物議を醸し出している「明日 ママがいない」を観ている。

親に捨てられた子どもたちのが住む施設と、児童養護施設を通して里親を探し出すという基本構成のドラマ。

最近の社会現象も絡ませて書かれているだけに妙にリアリティーがあったり、妙に作り話っぽい内容が同居した内容なのだが、そのような題材として取り上げられている事実は事実として歴然としてあるということ。

現実としてあり、それが解決もされぬまま拡大再生産されている事実こそ本当は問題なのだが、それを知らない方が多いという現実もある。

少しでも、そんな子どもたちの存在と、何が出来るのかを論じること、そして、既存の役所仕事は何もその現実に切り込めていない(いけない)と言うことを我々は知るべきだ。

 

だからこそ、魔王と呼ばれる施設を経営する彼の存在や、アイスドールと呼ばれる児童相談所の所員の存在が気にもなったりするのだ。