酷いものだ、こんなにもはびこる無責任体質
新国立競技場の建設費の高騰に対しての、批判の声の高まりから、ゼロベースでの見直しとなったが、それに関わって有力者の見解は何とも醜いと言わざるを得ない。
しかも誰も責任を取ろうとせず、居座り続けるとは何事なんだ。
安藤忠雄、競技場のデザインを決めるまでの審査委員長であり、建設費については自分が関与する範疇じゃないとの言。
全く実責任としか言いようがない。デザインを決めるにしても、どのような競技場を目指すんだという大前提から決めるのが当然であり、その中には建設費も当然入っているはずである。最初は、コンパクトなものにしたいと言うことだったのだから。
五輪組織委員会会長の森喜朗前首相、組織委員会は何処で競技をするかを決めるためのもので、競技場を作る立場にないと、自分の責任を回避した発言をしているが、ワールドカップラグビーを、この競技場でするために随分と働きかけてきたという。
下村博文文科大臣は、直接の建設計画の管轄が文科省に有るにも関わらず、その責任をスルッと又してもすり抜けている。この男に関しては、不正献金問題がわき起こっているが、それもうやむやのまま終焉しているようだし。
安倍にしても、下村にしても、平気で嘘をつく、ころころと自分の考えを変える、そんな無責任、しかも特定の側の考えに沿っての政治姿勢しか示さない連中に、教育を語る資格ないし語って欲しくもない。
こんな奴らに限って、道徳教育の強化や、都合の良い大学の学部編成などをしようと企むんだ。
国を潰す元凶と言わずして何と言う。