haruの窓

北海道発

掃除

母の入所している施設では、もちつき大会が開かれる予定の日。
俺も参加するつもりだったが、母が4.5日前から風邪を引き、部屋から出ることが困難なので、もちつきを断念し妹と一緒に部屋の掃除をすることにした。

バケツを持ち、ゴミ袋を持参して、ゴミや不要になったものを処分する。
もうかれこれ、5年ほど母は入所しているのだが、最近とみに膝や腰が悪く、自分でも自由がきかなくなるにつれ、ベットの近くに何でも置くようになり、部屋が雑然とするのが気になっていたのだ。

かれこれ、3時過ぎまで片付けがかかってしまうが、1度徹底的にと考えていたのですっきりとする。



二人の訃報

二人の訃報が新聞に載っている。

12月4日には、槙枝元文氏の訃報。
彼は、1971年から日教組の委員長をしていて、後に1983年まで総評の議長も兼任する。ミスター日教組とも言われ、教職員の待遇改善、主任制反対運動を指導した。

また、12月10には、元国鉄動力車労組(動労)の委員長として、1970年前後を指導した松崎明氏。彼が動労委員長時代には、「鬼の動労」と呼ばれるような過激な行動をし、まさに労働運動の指導的役割を演じてもいた。

当時は、学校でも、公務員でも禁止されているストライキを堂々と完全に全日ストライキなどを実施した時代でもあった。東京の国鉄の電車には大きくストライキのスローガンが書かれた電車を運転させ、または、運行をストップさせたり、学校では、児童生徒を学校に残し、先生たちがストライキに参加した時代だった。


そのような時代を指導した二人の訃報は、当時を思い出させてもくれる。

政治に不信を抱かせる今の時代と異なり、時代がまっすぐに、根源的な軸の在り方を求めていた時代でもあった。