haruの窓

北海道発

メーデー

4月に勤めだしてから、丁度1ヶ月過ぎた。

慣れない仕事で、忙しくはないのだが、疲れた1ヶ月だった。


どうも仕事がゴチャゴチャしてわかりにくいし、起案をする際には、昨年度と変わらないのに、いちいち決裁を貰わねばならない煩わしさ。

すっきりと整理したいのに。

でも、今は、何も権限がないものだから、それは無理。



さて、今日はメーデー。

今回の大地震と原発災害で、すっかりそんなことが脇にやられがちだが、それにしても、盛り上がらないメーデーだ。
この町ではそうなってるのか、デモの姿すら見えなかった。
前に住んでいたニセコでは、メーデーそのものが無かったし。

こんな時だから、変に絡められるのではなく、きちんと筋を通して欲しいものだ。

このままで行ったら、ますます働きにくい日本になっていくことを恐れるのだが。


非常時に乗じて、あれこれと悪い方にシフトしていくことを見逃してはいけない。
今回の3.11を契機に、新たな視点で日本の行く末を論じて行かなくてはと思う。

雑誌やネット記事から、幾人かの書き手が、曖昧なままにして見て見ぬふりをしていた、原発の危険性に、
はっきりと認識して、自らを正論を論ずるようになると決意しだしている論調を読むことはとても嬉しいし励みにもなる。

そういえば、余談だが、高校の同級生が、退職後、泊原発に近い街の町議選に立候補し、中位ほどの票で議員となった。彼の訴えは、反原発を掲げてのものだ。
先に、講演したあの原発問題研究会の代表を長く務めてきた友人だ。


しかし、泊原発の周辺4町村の町民の原発に対しての意識は、アンケートによると、それを取り囲む周辺地域とは随分違うようだ。

いざ何かあったら、自分たちがあの20キロ圏内の町村になるんだと言うことなのに。
気づいていても、今更・・・・・と言うことなのか。
北電に魂まで売ったわけではないのだ。


しかし、大きな世論を形成するマスコミ、特にテレビの論調の低さは呆れてしまう。

政府見解を丸呑みか、東電に物言わぬ雰囲気が漂っている。
これが、アメリカ、財界、政府、内閣府、官僚、電気産業が一体となって推し進めてきたなれのはてなのだ。