とうとう大晦日
朝食後、上の娘と住宅の雪かきに。
除雪が入らないものだから、雪の降り始めに形を作っておかないとどうして良いか分からない状態になるものだ。
だから、今後のことを考えて、住宅の裏手に雪を持って行くことと、部屋の窓ガラスの所に落ちてきた雪の始末を考え、雪をまとめて置く場所をはっきりさせる。
長の除雪車が入らないって、この辺では考えられない。
俺ならもっと役場と掛け合うのに。
さて紅白を最初から見た。
意図的なものを感じ、派手な内容であった。
上っ面の騒ぎが空しい。
昨年の美輪明宏のよいとまけの唄や(今年も出場し、長崎原爆の思いも意を歌ったのだが、すぐに周りの喧噪にかき消されてしまった。去年のように歌った後の余韻が会場を支配させるという演出もなかった)一昨年に、長渕剛が被災地で歌ったあのような突き上げるような悲しみに支配される場面もなかった。
嵐のふるさとの唄を、東北の高校合唱部が出て一緒に歌った場面だって、ほんのちょっとした演出でしかない。
むしろオリンピックを意識した構成が際立っていたように感じた。
このように我々は何らかの意図のもと、確実に慣らされていくのだろう。
状況は完全にコントロールされていると言い切った事実、靖国神社に首相とし公式参拝した事実、国家秘密法を何が何でも成立させるという、何らかの意図の元に暴走した事実、あれよあれよという前に学習指導要領の検定の強化を言いだし、国家に都合の悪い部分は覆い隠し、美しい国を取り戻すという何が何だか訳の分からない抽象的な言葉で道徳観を植え付けようという意図が丸見えの大幅な指導要領改訂の趣旨。果ては簡単に戦争に荷担できる国へと憲法まで変えようとの本音。
当たらし年は、確実にこのような色彩の風潮が一層推し進められていくだろう。
30日の東京証券株式市場大発会が、初めて首相を呼んで開催されたこと、その際のアベノミクスこそがすべてで、俺のために景気が上昇しているんだと言わんばかりの言。それにマスコミはさして反応もしない。
また、先日の靖国神社の参拝にしたって、内閣総理大臣の安倍・・・と記載されたという、もうやりたい放題じゃないか。驕り高ぶっているとしか思えない。
諸外国の反応は当然のことだ。このような事実を容認すると言うことは、やはりマスコミの情報操作としか感じられない。良識あるジャーナリズムを示してほしい。
まさに今はジャーナリズムの真価が問われていると言えるだろう。
来年はますます困難な状況になるだろうが、日本が本当に民主的な良識のある国となっていくことを切に望んでいる。