交流会
朝からものすごい吹雪。天気予報も最近で最大の荒れた天気だと。警報が続々出てきている。
配達の時には、風が強いものの、まだ雪がそれほど付いていなかった。この荒れた天気では瞬間最大風力が30メートルと告げている。近くの町村なんて結構停電が続いているところもある。仁木、古平、積丹、蘭越、共和と告げている。
6時過ぎから雪が付いてきた。このような吹雪は最近ちょっと見ていない。
今日3月1日は、高校の卒業式の日だ。下の娘が出た高校などは、私服登校なので、卒業式では着物を着ての女の子も多いのだが、どうするのか。大変だ。
今日は母のいる施設で家族交流会が開催される予定だが、9時頃に電話が来る。この天候の中だが、出席できるかどうか聞いてくる。参加者数を押さえて、昼に一緒に食べる食事まで用意しているのだから、何とか開催したいとは思うのだろうが、この天候の中参加できない家族がどのくらいいるのかを把握したいのだ。
10時過ぎにようやく風も多少収まり、家の前の除雪に出かける。車庫前や階段は吹きだまりがひどい。30分ほどもして,車で出かけられるようにした。
11時に集合したら、10家族ほどが参加していたが、4.5組は不参加のようだった。
今回の交流会は、担当の職員紹介と、食事についての献立、盛りつけ、提供の工夫などについて説明があった。
食べている途中に思い出したので、かなり量が減っているが。
これがお昼の食事だ。
何と手の込んだものばかり出してくれる。
1時過ぎに終了。帰宅後今度は丁寧に除雪をする。
荷物の運搬
天気予報が悪かったが、娘のアパートに荷物を運ぶ。
札幌に近づくにつれ車の動きが鈍くなる。道路には雪がガタガタに固まり、突き上げる振動が激しい。
途中で入った食堂では、玄関前が少し除雪しているだけ。駐車場は昨日からの積もった雪がかなりの量たまっている。20センチほどもあったようだが、気温が高いだけ溶けかかった雪だ。
約束の時間から1時間近く遅れて不動産店で鍵を受け取りアパートに。そこでは既にガス屋が待っている。
東区役所近くの交通の便もよく、店舗も結構点在して住みやすい地域のようだし、部屋もこぢんまりとはしているがいいところだ。下の階には狭いところだが物置もあるし、自転車を置く場所も確保されている。
狭い階段を3階まで登って、布団、ガスコンロ、テレビなどを運び込む。
明日には引っ越し荷物が届くようだし、娘にしてみると早く部屋を片付けてしまいたいのだろうが、しばらくそこにいるようだ。昨日帰ってきたばかりなのに。
6時近くなって帰ってきた。
最近のことなど
朝、下のそば打ち場に暖房をつけるも、1時間半もたつのに気温は5度。寒い。
水をぬるま湯状態にして、10時前から練習を始める。
今年になってから、どうも手が荒れて酷い。特に冬場になると酷いのだから、そば粉のせいだろうと思っている。
ただ荒れるだけなら、保湿クリームでも塗っておくといいのだろうが、俺の場合はそこからひび割れができてきて、最悪の場合には、血が出てくることだ。
1か月ほど前に、道場で打っていた時などは、地のしで手で平らにつぶしていると、何か所にも血の跡がついていて、周りの人たちもびっくりしたような状態になったことがある。
それ以後は、特に気を付けているのだが、そばを打つとどうもひび割れが多い。
昇段試験までにはたくさんい打って練習したいとは思うものの、なかなかそうもできないのだ。
それ以後は、1週間に2,3回というところ。それがもどかしい。最近は、水回しは薄手のビニール手袋をつけてしているが、手の感覚が多少違うが、幾分手にはいいようだ。
きょう打った写真。スマホで写した写真だ。
麺の置き方がだめだなあ。まっすぐになるように容器に入れなくては。
それと、時間がどうも短縮できない。伸しむらがあるうえに伸すのに時間がかかってしまう。
2度そば打ちをした頃、下の娘が帰ってきた。アパートを引き払い、札幌に就職するために帰ってきたもの。
本人にとってはどのような大学生活だったのか、しかし、義母や義妹にとっては寂しい別れになったに違いない。
明日は車に布団やらテレビなどを積んで、既に決めてある札幌のアパートに運ぶことになる。向こうから送った荷物は明後日に届くそうだが、俺たちは用事でいけないので、自分で受け取って片づけねばならないだろう。
夕方に長女が来る。久しぶりの4人での食事。
長女の話では、修理依頼をしていたパソコンが、ハードデスクが壊れていたそうだ。
俺もついこの前に不調続きのパソコンを見てもらったら、やはりハードデスクが壊れていて、結局買い換える羽目になってしまったのだが、そんなにもハードで救って壊れやすいものなのだろうか。
東京から帰ってきて2週間で、何とかデータを外付けハードから入れ替えたのだが、娘は仕事のデータはあっても、写真などのデータを失ったということで、データはこまめにバックアップを取らねばならないということなんだな。
もう20年近くにもなるが、ハードが壊れたなんて初めてだった。
東京で 孫とご対面
朝、ホテルで娘と待ち合わせをして、遅い朝食を取る。
駅ビルの中の店で、せっかくだからと餃子を別々に3種類頼む。
普通の餃子、味噌味のネギがたっぷり乗った餃子、熱々のスープに入った餃子と、どれも美味しかった。店は次々と客が入ってきていたが、何とか待つこともなく座れたのだが、我々が店を出て5分後くらいにはもう店の外に列が出来ていた。
池袋で降りて山の手に乗り換え、高田馬場から都立家政で降りる。そこから5分も歩いたところが息子のアパート。
昨年2月に生まれた孫とご対面。
知恵も付いてきているのだろうが、俺とは目も合わせない。
手を差し出したって無視、泣きそうな顔になる。
特に男の人にはその傾向が強いと。実家に行っても、3日くらいはだめだとか。
途中で近くの公園に行ったりしたのだが、だめだなあ。
しばらくしたら、娘にはなついてきていたのだが、抱かれもしたし。
夕方、息子の運転する車で、江古田のホテルに。
大学時代に住んだことがあるこの地で、夜 娘と食事に行く途中、いろいろと歩いてみる。記憶も薄れかかっているが、飲食店が随分と多くなったような気がする。
魚料理の店で、食事と酒を。
次の日の朝は、7時頃から散歩を1時間程。
40数年前と変わらず、製粉会社があったり、医院があったり、材木店や、古びたアパートや、新聞の販売店も変わらずあった。
住んでいたアパートは変わってはいたが、大家の母屋はそのまま残っていた。
かなり古ぼけてはいたが懐かしい住宅地が並んでいた。
息子がホテルに迎えに来て、再び息子の所に。
孫は少しは昨日よりも良いようだが、まだまだ自分からは寄っては来ない。後ろからさりげなく抱いて俺のあぐらに入れていたのだが、最後には気づかれて泣かれてしまった。
今週の土曜日に一日早く1歳の誕生日をすると言うので、それに間に合わせるようにして、1升餅をついて送ることを約束する。
帰るときは、バイバイをして送ってはくれたのだが。
息子と話をしていて、スマホがかなり安いので、楽天モバイルの申し込みをした。SIMカードがあれば良いようで、古いスマホを貰ってそれを使用することにした。
通信料は3.1ギガで1600円、そして電話は5分かけ放題の850円。5分を超えると30秒10円と、今までのスマホと違い格段に安い。
まあ、俺はパソコンをするので、従来の携帯で良かったのだが、しかし、その携帯がもうボロボロの状態。だから丁度良い機会でもあるのだろう。
昨日は24度、今日は8度と、乱高下する気温だった。2月とは思えないような天候に驚く。さあ、これからは1ヶ月少しはそば打ちに熱中だ。
栃木と東京への旅
13日の土曜日から15日までのわずか2泊3日ではあったが、下の娘の所と息子の所へと。
娘は卒論も提出し、後期試験も終え、あとわずかの大学生活を残すのみ。
おれは一度も娘の大学を見たこともなかったので、卒業前に一度はと。
この2,3日は、東京も息子の所も、20度を超える気温とかで、着るものを夏物と冬物を用意したが、それにしても異常な気候だ。
朝の新聞配達を終え、急いで荷物をまとめ朝食を食べてJRに乗る。
10時20分の飛行機に乗り、12時に羽田に到着する。
京急に乗り品川に。そこで山手線に乗り大崎で、新宿湘南ラインに乗って栃木に。
正門前にある大きな梅の木が迎えてくれた。
大学の庭は、フランス庭園を模して作られているとかで、これがツツジの咲く頃にはさぞや綺麗なのだろうと思われるが、この2月じゃあ。
娘のアパートは、正門を抜けた一本通りの道。歩いても10分程で着く。
小さな部屋だから、2月末の引っ越しはそんなに大変ではないだろう。
大家さんに挨拶をして、連れ合いの実家に。
タクシーで10分程。久しぶりに義母と義妹に会う。息子の結婚式以来だからもう5年程も経つ。
夜は娘のバイト先の店で料理を食べる。この店は、週末にはミニライブを催したりするところ。オーナーも音楽をしていて、この都市に移ってきて25年が過ぎたと話す。
2時間程、娘と水入らずの時を過ごす。
娘もとっても素直に受け答えをするし、こんな時間はとてもいい。
このような地方都市の大学で、大学生が大事にされてきたことが分かる。中途半端な都市ではあるが、この大学に入って良かったと。
ホテルに向かうタクシーの運転手が、娘のこと俺のことなど聞いてくるが、これも地方ならではかな。
電車の中、飛行機の中と随分寝てきたので、ホテルでは何度も目を覚まし余り眠れなかった。
何とかここまで
一月から毎週札幌の道場通い。
今日は道が空いていてスムーズに到着。何でと思ったら祝日だった。
9時10分頃にはもう着いていた。でも朝里から銭函の道は凍結していてカーブなどは随分気をつけて走行したが。
さて、道場は空いていた。
俺を入れて7人。
そのうち4段の人3人、4段受験者のかた1名。
いつものように練習粉を。師匠は本番と同じようにそば粉とつなぎを別々の袋に入れてくれた。1回目も2回目もいつもより多めに水を入れて見るが、2回目に少し多すぎたようで、柔らかめだった。
慎重に四つ出しをして正方形に。気持ちの良い正方形になっている。
その後の本のしは均一にと思いながらも、多少の乱れが。それでもマアマアか。
2回目、3回目は、多少堅めにして行うが、伸しにそれほど時間がかからなくなってきた。これなら何とかなる。四つ出しだって形が良いものになっているし。
師匠から,.この調子で良いとOKが出るが、自分的には、切りをもっと揃えること。多少の厚さの違いがありすぎる。
細かいところはたくさんあるのだろうが、今日は満足のいくそば打ち練習ができて、自信らしきものが・・・。
落ち着いて,無心で・・。そうすれば自ずから結果は出てくることになる。
明日からしばらくはそば打ちができない。今度は東京から帰ってきてからだな。
16日が練習日になっている。
疲れた一日
昨日は起きてから体がゾクゾクとして、案の定37度4分ほど熱があった。
日中は無理をせず、熱い風呂にゆっくり入り、マムシ酒をグッと飲んで寝たのが効いたのか、体のだるいのが消えていた。
朝食後、長万部に向かう。国道が凍っていて気をつけて車を運転しながら、岩内、蘭越の港、寿都、黒松内を通って長万部に。9時15分前に到着。
今日は長万部で3月の3段昇段検定の特打ち。結構な人数が集まっていて30人を超える特打ち参加者。そして手伝いの道南ブロック推進協議会のスタッフと指導する5段を所持している7人ほどの方々と補助する4段の方々。総勢にすると80名ほどにもなる。
その他に、調理室では、長万部のそば愛好会の女性の方々が昼食の準備。
特打ちなるものに始めて参加するので、どのようにやるのかと思っていたら、何とか方式とかで、3グループに分かれて、水回しをしてそば玉を作ったら、次の2グループの人が会議用のテーブルの上に木鉢を置いて水回しをしてそば玉を作るという。1グループの人はその場でつぶし,丸のし、そしてたたみまでをする。切りは,まな板にたたんだのを持って別の会議用テーブルの所に移動し、その上で切るという。2グループは1グループのたたみを待って、麺打ち台に行って、つぶし、丸のしをしてたたみまでをするという。
3グループの人は2グループの人が終わるのを見計らって、水回しを行うという、時間差で場所を変えながらそば打ちをするというもの。
理屈上は分かるのだが、個々人には時間差があり、しかもそこに指導する諸先生方が、均等に指導時間を見計らいながら指導するなら,次々と回っていくのだろうが、指導なのか、模範技を見せるのか,講習なのか分からないものだから、待つ時間が長くなってしまうことも。
結局終わりの打ち合わせをしたのが、3時15分過ぎ。3時半頃に解散した。
後半など待つ時間が長いものだから,早く終わった人は飽きてしまい,半数以上の人は雪もかなり降っていたので途中で帰ってしまっていた。無理もない。俺だって朝早くから起きているから,疲れてしまい、椅子にでも座って待っていたかったのに椅子もないのだから。
運営に工夫の余地が大ありだな。
今回、当日使用する粉を始めて使い、2回打った事になるのだが、荒粉というだけあり、伸しの時に周りがひび割れしてくるし、練ってもなかなか艶が出にくい。そして、水を多く使うようだ。50%を超えて2回目には打ったが、俺のいつもの打ち方だともっと水を使うことになるだろうが・・・。
よかったことは、道南ブロック推進協議会の高橋会長が、俺の伸しの片方が肉厚になっているのを直す方法を教えてくれたり、奈井江の丸山5段が、親切に切りや丸のしの直し方を教えてくれたのには、残りの1ヶ月を精進しようという気にさせてくれた。
それにしても、手だな。荒れて荒れてひび割れをして、血まで出てくるのだから。
たくさん打ちたいのだが、なるべく手を洗わないで,ハンドクリームや保湿用クリーム、傷薬などを塗り,白い手袋を常にして手を保護している。だから、多くて一日おき。しかも、水回しの時には薄いビニールの手恵袋をはいて練習をしている始末。
もっと頑張らなければ
2月となり、そばの昇段試験まで50日を切るようになった。
今は週3回ほどのペースで練習をしているが、何とか時間内に終了しそうになってきている。
粉にふるいをかけ、水回し、菊練り、つぶし、丸出し、四つだし,本のし、切り、そして後始末までの全行程を40分で終了しなければいけないもの。
粉と水を混ぜる,水回しの時間が短縮してきている。
そして、切る時のスピードを増す練習を繰り返し、7分ほどできることができるようになってきた。
課題は、伸しの均一化。なかなか伸しの厚さが均一にならないのだ。
今日は道場に行ってきたのだが、年が明けてからは比較的すいていて、先週は2名しかいなかったのに、今日は満員状態。新たに習いに来ている人が3人もいた。
俺の打つのをちらちらと見ていた4段の方が、「試験はいつ?」「3月です」と答えると、「じゃあ、もっと頑張らなきゃぁ。たたんだ時にずれているし、たたんだ麺体だって同じ高さじゃないでしょう」とズバッと言われてしまった。
確かにそうなのだ。
それでもここまで来たのだ。
1月の中頃なんて、そばを打てる状態ではなかったのだ。
それは、前々から気になっていたのだが、手が荒れて切れてくることがしょっちゅうあったからだ。一度などは道場で打っている時に血が出て、潰している麺生地に何カ所も血が付いてしまい、どうしようもなくなって,もう試験は無理じゃないかと思いかけていたこともあったのだ。
それからだ。手にハンドクリームや傷薬をまめにして、白い手袋をして手を保護するように心がけているのだ。そうすることにより、手もそんなに荒れることなく、何とか一日おきにはそばを打てるようになってきているのだ。
今度の日曜日には、3段受験の特打ちの日だ。長万部まで行かなくては。
節分
最近は、というよりもここ5,6年のことだと思うのだが、節分の豆まきよりも恵方巻きを食べる事が盛んに取り上げられ、メディア、スーパー、コンビニまでが入り乱れて恵方巻き商戦が展開されている。
こんなにも簡単に習慣というのか風習というのか、意識にすり込まれてしまうものなのかと驚く。果たして店頭ではどれほど売れているのだろうか。
我が家ではささやかな抵抗として、海苔巻きを作り切ってただ食べるようにしている。
長女が来たので1月31日に、海鮮巻きにした。
それにしても、スーパーに行って驚くのは、随分と物価が上がっていること。えっ、こんなに高かったのかと思うほど高い。
我が家は野菜はほとんどが保存しているもので間に合うのであまり買わないが、肉や魚の高いこと。
いつも行く車で20分ほどの温泉に行ったのだが、温泉の受付に何と恵方巻きが置いてある。ここでも恵方巻き?とつぶやくと、お客さんにサービスですと、2.3年ほど前からやってるんだと。うん、こんなサービスはいいな。わざわざ袋に入れて持たせてくれた。
今日の夕食に、連れ合いの実家から送ってきたという、「しもつかれ」というものが出た。
画像ではよく分からないのだが、栃木県の郷土料理だという。
知り合いから貰ったらしいのだが、連れ合いが調べて話すのを聞く。
小さい頃に一度食べたことがあるが、子どもにはあの酒粕が入った味がとても食べられなかったそうであるが
俺もそんなごった煮を食べる事が出来るかな? と恐る恐る食べてみると、マアマア。
鮭の頭を入れ、大根や人参を鬼おろしですり下ろし、油揚げや大豆を混ぜ、そして酒粕で味を調えたものだそうだが、冬を乗り切るための農家の人々の知恵というものなのだろう。
恵方巻きよりもずっと好ましいもののように思われる。
しもつかれを広めるブログがあった。
通常の感覚と違う
すっかりあきれ果てて最近は書くことをしないできたのだが、余りの醜さに我慢の限界を超えてしまう。
あの昨年夏の安保法制の国会論議を極力放映しなかったNHKが、1月からの通常国会は放映してるじゃないか。 どんな心変わりか。
昨年夏には番組編成の都合とか言っていたのだが、さすがにあの時は、憲法違反法案を提出して、政府の強引な答弁を広く国民に知らせないようにとの忖度だったのだろうが、今国会は余裕で野党の追及と国民への刷り込みができると判断しているからなのだろう。きっとそうに違いない。
アベの強引にまくし上げる答弁はとにかく酷い。特に民主党議員がアベの政策や現実把握を迫ろうものなら、目がつり上がり、民主党政権時代と比べて数段によくなっているじゃないかと、都合のいいような資料を持ち出してまくし立てる。
今までにこんなにも不誠実な、敵意むき出しの答弁をしてきた総理なんていなかった。
審議してもらう立場にあるにもかかわらず、一切の疑念を受け付けないのだ。
野党(民主党や維新の党)の劣化も激しい。そんなアベに言いまくられっぱなしの状態で、反論や追及も甘いものになっている。今が踏ん張りどころにもかかわらず、その重大な岐路であることをしっかりと認識すらしていない。
共産党が提起した、野党統一候補をだして、アベ自民と対峙しよう、それなくしては憲法破壊、反立憲主義を認め、とんでもない事態に陥ってしまうと言う提起に、もたもたして満足な現状認識すらできない民主党。
全くあきれ果ててしまう。国民が見限って、ますます政治不信に陥ってしまう。その責任は民主党にあるんじゃないのか。
隠れ自民のような議員がたくさんいるんじゃないか。
野党は共闘という国民の側の声をまともに聞き入れようとしない、そんな民主党はいらない。
バックに連合が付いていて、電力労連や基幹労連などの大企業の労組がそれを支えているものだから、企業寄りの組合でしかないのだ。だから、民主党は原発イラナイを打ち出せないのだ。
そんなしがらみと決別しろよ。あの未曾有の原発事故が起こっているのに、その影響が出て来てしかも解決までにはどれほどの年月が必要なものかも分からないというのに、再稼働をしたり、再稼働すべく準備を整えようとしている電力会社、企業の論理。
通常の感覚でははかり知ることができないものだ。
原発が動かなくても、電力は足りていたはずだ。
また、連合の神津会長基幹労組出身だけあり、共産党とは同一歩調を取りたくないのだ。自分たちの利益を追求するための労組であり、国民のためという発想がないといってもいいのだろう。
このままではアベ自民にやられ、どんどん独裁国家になっていく。
憲法9条の改正だって視野に入れているし、最も危険な緊急事態条項などすぐさま法案として提出してきそうだ。片山さつきなど、国会で必要だと言うことを訴えていた。
緊急事態条項については、こんなにも危険だ。
2016/01/11 岩上安身による升永英俊・弁護士インタビュー ~緊急事態条項について(動画) | IWJ Independent Web Journal
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